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〜揺られ揺られる、日々の思いを、君へ、あなたへ〜

文芸座-factory-

音楽ユニット・ザ・トーマスの作品群、或いは文芸面のブログです。

-あと1年、頑張ろう-

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健太郎
何のために、書いてるんだろう。

この記事も、小説も、音楽も。

ほぼほぼ、何もわからない。

ただ、ひとつわかってることがある。

今までも、そういうとき、きちんと続けてきた。

そして、だからこそ、今のご縁がある。

だから、まったく意味を見出せない、今、このときに、きちんと続けることで、それでも、尚も夢見たい、未来を信じることができる。

ここで、挫けるな。

ここで、諦めるな。

そう言い聞かせて、あと1年、頑張りなさい。

そしたら、きっと、わずかな光がみえる。


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-秋の夜長-

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健太郎
今晩の予定は、今日の分の仕事をして、今月分の音源の確認をしたら、小説を少し直して、程よい時間になるであろう。

他人に期待しても、何も変わらないし、しょうもないから、わたしはわたしのやるべきことを、貫徹して、淡々と、かつ徹底的に遂行する。

それだけである。

皆さまも、よい秋の夜長を。

-かしこまり-

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健太郎
最近のblog、かしこまりすぎている。

とりあえず、このところ、Superflyを聴いてることを書いてみる。

あと、新しいアルバイトを始めた。

とても頑張っています。

頑張りましょう、憂いの日々を。

それでは、また秋の夜に。

-感謝のblog-

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健太郎
少し前から、noteというSNSを利用していて、blogもそこからの転載が増えています。

なので、たまにはきちんと別枠のblogを。

こんな時間に綴っておるのは、まぁ、また眠気がこないからです。

なんかいつの間にか背負ってしまうものがあったり、それを無理やり振り落としてみたり。

まぁ、振り落としている日々の方が多いかも、わかりません。

ほんとは格好よく背負って、きちんと律していけたら、それがよいのだけども。

なかなか日々の重圧の中で、ずっと日がな月がな背負い続ける気概も甲斐性もないわたしです。

とはいえ、プレッシャーのかかる中でも、きちんと律し続けていることもありますし、その辺りは、他人からは見えづらくても、自分くらいは認めてあげてもよいのかな、と思っています。

すべてをかなぐり捨てたい日も、例えば、今夜のように、どうしようもなく気分の乗らない日も、音楽を作ったり本を書いたりしています。

そうした日々の圧の中で、些細なプライベートにまで、過剰な何かしらを求められると、さすがにそれが24時間365日のこととなると、まかないきれないかな、というところではあります。

ましてや、心の内にまで完璧を期待されるなら、わたしはその期待には応えないくらいには、きちんと健やかで在れるように生きているのかな、とは思います。

こうした日記が誰のもとに届いてくれるのかは、わかりません。

とはいえ、今日もきちんとblogを書いている。

先月も先々月も、数年前も10年前も、ほぼほぼ同じくらいのペースで更新していること。

そのことの後ろには、君の顔やあなたの顔が、大切な人の笑顔やかけがえのない恩人の心が、いつも浮かんでいる、そのことは大事にしていけたら、と思います。

たまには、こういう真面目なことをblogにも記しておこうかなと、思ってみました。

それでは、今日から明日にかけての天候には、くれぐれもお気をつけください。

また、月の明かりの見える頃に。

-小説について-

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健太郎
全然、眠くならないので、わたしが小説を書くようになったいきさつについて、少し日記を書いてみます。

まず、わたしが小説を書こうと思い立った、そのきっかけの本が2冊あります。

1冊は、ドストエフスキーの「地下室の手記」。

もう1冊は、サリンジャーの「フラニーとゾーイー」。

どちらも、読んでいて、もはや「笑い」だな、と感じました。

ドストエフスキーは、あまりに真剣な妄想などの諸々が、もはやギャグに思えてしまった。

サリンジャーは、レストランでのやり取りにて、あまりにも細やかな心のなかの悪態を拾いすぎて、やはりギャグに思えてしまった。

そして、そういう、もはやギャグにしか思えない真剣さや繊細さ、真面目さや妄想などの諸々を拾うことにおいて、わたしほどの適材は居ないのでは、と思ってしまったのである。

なので、若い頃にドストエフスキーを読んで、それから30代に入り、サリンジャーを読んだとき、小説を、特に心の内をむさぼるような生粋の純文学を書くことに決めて、書き始めました。

そして、その頃に、本格的に小説を書こう、と始めたとき、背中を押してくれたのが、2012年に60代や70代の方が新人賞を受賞したこと。

その年から、本格的に書き始めた。

それまでは、20代の後半の頃は、特に、これから何かを始めても遅いのではないか、実はそう思っていた。

なので、それまで続けてきた弾き語りやDTMくらいしか、できなかった。

だけど、60代や70代の方が受賞した、というニュースを見て、わたしもまだまだやれる、と勝手に思い込んでしまったのである。

浅はかな思い込み、かもしれないけど。

でも、それから、もう7年の時が経つ。

今では、あたかも始めから小説を書いていたかのように、わたしは小説を書く人である、という認識をしてもらえるようになってきた。

もう一度、話しておきます。

7年前には、トーマスさんイコール小説を書く人、ではありませんでした。

もちろん、古い友人のほかには、作家さんの知り合いも、まったく居ませんでした。

そのくらい、きちんと頑張っていれば、周りの人の認識は変わってくるし、出逢う人も変わってくるのだと思います。

そして、もちろん、これからも周りの人の認識を、がんがん塗り替えていこうと思っています。

でも、ここまで本気で書いてるトーマスさんなら、きっと芥川賞も夢じゃないよ、これから、そういう認識にしてやろう、と勝手に思っています。

それでは、これからのトーマスおじさんの活躍を、是非とも陰ながらご期待ください。

みんな、トーマスさんのことは、陰ながらこっそり応援するのが大好きなことは知ってるので、表に出てきてね、などと野暮なことは申しません。

こっそり応援してくれたら、またこちらもこっそり受け止めて参ります。

それでは、また小さな秋の日に。