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〜揺られ揺られる、日々の思いを、君へ、あなたへ〜

文芸座-factory-

音楽ユニット・ザ・トーマスの作品群、或いは文芸面のブログです。

-ゆっくりでもいい、歩もうか-

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健太郎
何のために、頑張ってきたのかな。

そう思うことばかり。

こっそり応援してくれてる人もいる。

あなたが、誰にも告げずに、誰にも話さずに。

陰の方から、見ていてくれること。

そして、いつか、どこかの映画館のエンドロールとか、雑誌の片隅とか、ネットのささやかな世界とか、そのようにまた今までの活動のその少し先にある未来を、あなたに見せてあげたいし。

そのために、音を、言葉を、絵を、探している。

あなたもきっと、誰にも話さないと思う。

誰かの前では、あいつがまた夢見がちなことを話してるよ、なんて話すかもしれないね。

だけどね、そんな話をしたその夜に。

バスルームやベッドの中とかで。

でも、もしかしたら、あるかも、や、ないわ、やっぱりないわ、そんなこと。

みたいな夢の世界を、あなたに見てもらおうと思っとるし。

そのために、今日できることなんて言ったら、ほんの少しだけ短歌の文字を入れ替えてみたり、昨日の音を少しだけ明るい音に変えてみたり、その程度のことなんだよね。

そして、だけどね。

わたしは、そんな、その程度のことを、誰よりも大事にしています。

あなたが、笑ってしまうような。

大事にしてるつもりの人にさえ、ばかにされてしまうような。

そんな、今日の日の些細な、ちっぽけな修正を、わたしは、誰よりも大事にしています。

そして、そのちっぽけなことの積み重ね、その積み重ねだけが、あなたに見せてあげたい景色の、そのひとかけらである、そのことを、わたしは、誰よりもきちんと理解している、と、そう思っております。

それでは、また好日に。

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-あの鐘の鳴る日に-

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健太郎
こんばんは。

夜分に失礼いたします。

とはいえblogなので、多分、見やすい時間帯に見てくれていると思うので、お時間をありがとうございます。

こないだ、西野亮廣さんが近畿大学の卒業式でスピーチをされたそうです。

早速、動画を拝見いたしました。

そして、合わせて、一昨年の又吉直樹さんのスピーチも拝見しました。

お二人とも、しんどいときは、これから訪れる幸せへの準備期間、という話と、過去は未来を変えることで、良くも悪くもできる、失敗はそこでやめてしまうから失敗なのだ、というほとんど同じトーンのお話をされていました。

まあ、自己啓発的には、ありきたりな話ですし、お二人ともわたしと同い年なので、過ごしてきた環境はそれぞれ異なるにしても、まあ、年齢の離れた人よりかは、似たような現実や社会の変化のありようを見ながら、同じ時代を過ごしてきたのではなかろうかな、と思いました。

わたしは、音楽を作ったり、本を書いたり、絵を描いたり、短歌を詠んだり、色々なことをしております。

しかしながらも、西野さんや又吉さんと比べても、わたしはまだ下積みとも言える境遇のなかを過ごしております。

そこで、わたしが、あまりに自信満々だったら、その方が問題児になってしまうので、ある程度の自信のなさは最低限は必要かな、と感じながら過ごしております。

そうでないと、作品の質は上がらないし、これから来たるべき未来さえ、訪れなくなってしまいます。

そして、わたしは、今まさに、西野さんのお話している11時台を過ごしております。

もうかれこれ、何年も何年も、まだ来ない、来たるべき12時の鐘の鳴るときに備えて、日々ひとつずつ、足を、歩みを進めております。

小学生や中高生には、ばかにされ、指を差され、同年代やその付近の男女には、憐れみの視線や心ない言葉を浴びせられ、年配の男女には、小さな子どものように扱われ、あしらわれ。

それは、屈辱的な日々ですし、やるせないし、かなしいし、悔しいですよね、わたしも人間ですから。

友人からは疎遠になり、恋愛には腫れもののように触れられ、仕事は続かないし見つからない、家族からは別な世界の人間のように扱われ。

ほんとうに、何を頼りに、というなら、それでも叶わぬ理想のなかで、一緒に歩んでいる音楽や演劇、絵画や文学などの仲間との日々、そして、陰ながら応援してくれる小さな声、ただそれだけを頼りに過ごしておる日々です。

きっと、こうして、これからSNSにもリンクを貼りますが、見に来てくれる方のなかには、そういう思いを、苦虫を噛むような思いで噛み潰しておる方もおられるかもわかりません。

わたしも、頑張っております。

きっと、12時の鐘を鳴らしましょう。

そして、きっと鳴らします。

陰ながら応援してくれるあなた、君の期待に応えようかはわかりませぬが、きっと、あの鐘を鳴らしに参ります。

どうぞ、ゆるやかな時空の流れで、その日を、待っていてください。

きっと、あなたの声を、心を、無駄にはいたしません。

それでは、またあの鐘の見える日に。

また、憂いの好日に。




-真鍮板アート-

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健太郎
最近、新しいアート制作を始めました。

普段はボールペンで描いている渦巻きを、真鍮板を彫ることで描いております。



下書きもあまり色が乗らないなかで、感覚と野生の勘も働かせながら、彫り進める感覚です。

光の角度によっては、下書きが見えないので、うまい角度から光を当てて覗くようにして彫ります。

素手で制作すると、手垢や汚れがついてしまうので、作業は白手袋をつけるようになりました。



実際の作業時間は、それほどかからずに終わるのですが、作業中の緊迫感が半端ないですね。

なので、まだ安直に販売などの値段をつけようとは思えず、当面は非販売として展示しようかと考えております。

よかったら、機会がありましたら、実際の作品も見てもらえたらなあと思います。

それでは、また憂いの日に。

-憂いの日に-

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健太郎
大事にしていたから、守れるわけじゃない。

大切にしていたから、抱えていられるわけじゃない。

だから、こうして笑える人、話せる人、少なからずを分かち合える人との時間は、大事に思えるといい。

かつて、ほんとうに、離れなくない、離したくない、例えば、そう思えていた誰か。

今でも、ほんとうは、そう思えるのかもしれないし、でも、それは、そっと胸の奥に大事にして、ひっそり抱えて生きようと思う。

あなたのことかもしれない。

君、なのかもしれない。

もしかしたら、わたしが知らないだけで、こっそり見に来てくれているのかもしれない。

ありがとう、そして、いつもありがとう。

憂いの良き日を過ごせますように。

それでは、また好日に。

-ため息のディスペラート-

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健太郎
本日は朝からお日柄もよしに、穏やかな春の日和であります。

人の陰口や日向口は、そこが自動改札機であるかのように、右往左往するばかり。

右を向いても、左を向いても。

ため息のディスペラート。

穏やかな心持ちも、消え入る春の木洩れ日の日であります。

そのようなことばかりを、書き綴ってみたところで、流麗な言の葉ばかりをうず高く積み上げるだけ。

内容はといえば、ほとんどないに等しい、空白の日誌ばかりを綴るようです。

それでは、内容はほぼありませんが、どうぞまたよろしくお願いいたします。

では、また憂いの好日に。